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Regional Happy New Year!

There are many regional calendars on the globe. I am Japanese, and follow our emperor eras in reckoning years. Some eras were short, and some were quite long such as Showa era, which lasted over 60 years. I must confess, however, this era system is not so good for me because it takes time when I check and convert historical events. Even just recent three eras – I need to convert them when an event was happened on a calculator.

Ano Domini; AD or the Christian Era is widely recoginized in Japan. The Gregorian calendar through BC and AD is widely used in the world. We can see however there are many regional calendars. In Japan besides emperor eara calendar, we follow the Gregorian calendar of the Christian Era. The Gregorian calendar is based on the Solar calendar. Many of asian people still follow the Lunar calendar or some combination of the Lunar calendar and their local calendar. In the Middle and Near East, most of them use Islamic calendar, which has been created with the Lunar calendar and their local and specific techniques.

In India, there are many local calenars. When I lived in Surat, India, I heard there were many local and spiritual new year events. Some are based on the Lunar system, some are based on Indian or local gods and goddesses.

Let’s celebrate your happy new year!
And hope everything should be going on well for you all!

天安門

29年前、1989年6月4日午後、私は瀋陽から北京空へ着いた。

空港にはタクシーは無く、市内への足をどうするか探していたところ日本のオムロン社の中国人運転手が同社の社員を空港まで送った帰りで乗せてくれるというので市内の国際大夏まで送っていただいた。瀋陽にいる時には北京がなにやらきな臭いとは聞いていたがあまり情報がなかった為と、とにかく早く北京での商談を進めたいという気持ちがあり予定通り北京へ来た。空港から市内までの道は殆ど車は無く、途中バスが横転して煙が出ているのが気になった。

国際大夏で取引先のN社の方に会うと、福田さんなんでこんな時に来られたか?と言われた。来てしまったものはしょうがない。色々と話しを聞くと民主化運動を機に各軍閥が北京に集結し、人民軍兵士がそこらじゅうに居てこのビルにも発砲があったとのこと。知り合いのH氏は普段冷静沈着な方であったが、本当に怖く、人生で初めてちびりましたと言われ、私にタクシーを使って移動する時は日の丸を作って常に携行して下さいとのアドバイスをしてくれた。 どこかの軍閥が北京飯店にミサイルを設置したとか、色々な噂が飛び交って、とに各北京市内は通常には機能していない。国際大夏で情報集めをし、ホテル(日航ホテル)へ行くと、日本大使館からの伝言が黒板に書かれていた。「現在の状況に鑑み、邦人の方は極力外出を控えて下さい。」今でもはっきり記憶しています。一方American Expressも同じ様にホテルのロビーに掲示をしていた。「We will help every American Express card holder to evacuate Beijing ……」頻繁に米国出張をしていたこともありAMEXは持っていた。この時非常に頼もしくおもい、依頼お守りのつもりでAMEXはどこでも携行している。ホテルの日本レストランの店主の話では中国人従業員が逃げてしまい、どこもまともにサービスが出来ないとのことで、食事は買い置きのパンとか保存食のみで、翌日外れの香港系のホテルへ移動、そこも次の日に移動し、最後は空港に近いHoliday Innへ。

東京本社と連絡を取り中国各地で機械の据付作業をしている技術者達と連絡を取る。長沙当たりでは多少騒がし感じがあるものの殆ど何事もないとのこと。北京郊外の工場でも特に目立った暴動も無いとのこと。一緒に来ていた後輩のS君を先に帰国させ、各地の技術者達の安全を確認した後、最終的に6月8日に北京空港からANAの臨時便で帰国した。この時の搭乗手続きが、パスポートを提示して現金で搭乗券を購入するもので、コンピュータ等による氏名の記録は一切なかった。もし飛行機が墜落したら誰が乗っていたか分からないだろうなと一瞬思った。最後のホテルから空港への足は現地駐在の日本商社、メーカーの方々が車を手配してくれた。

北京空港では市内から多数の外国人が避難しており、何日か宿泊していた人も居た様。この時は思わず1枚写真を撮った。

成田空港に着き、飛行機から外へ出ると後ろにいた女性が泣き崩れるのを見た。よほど怖かったのだろう。私もとにもかくにも無事帰国出来ほっとし、しばらくは中国へ行くこともないだろうと考えていたが、その後2か月もせず再び中国出張していた。